第10話:遂に離婚成立

遂に離婚成立 結婚から離婚までのストーリー

まずは別居生活の始まり

前回のプレゼンテーションの約1週間後、私と子ども達は新居へ引越しをした。

新居は家具・家電など全て新しい物を買い揃えて自分好みの部屋に整えていたので、新しい気持ちでスタートする事ができた。

こうやって、照明の1つ1つや食器棚、ソファーやテレビ台なども自分の好みだけで好きに選べる事も本当に楽しい。

いつかそんな日が来ると夢見て、でも・・・と立ち止まって考える時があり、本当に実現できるのか?と、自問自答した日々もあり。半ば諦めかけた時もあり。

だが今、私は「自由」という一番欲しかったものを手に入れたのだ!

自分だけの家。自分だけの空間。満足感が感慨深い。

気分は「ショーシャンクの空に」の、あのラストシーンの海辺にいる気分だ。
実際は海辺ではなく、お気に入りの家具で揃えたリビングのソファーに座っているだけなのだが。

次男は少し前に就職で家を出ていたが、引越し後2週間ほどで長男が1年ほど海外に行く事になり、娘と2人での暮らしが始まった。

それはそれは、毎日快適な日々だ。元夫の事業の手伝いもしなくてよい、元夫の洗濯物をしなくてよい、食事の用意もそうだし、今までの事を思うと家事なんて無いに等しいぐらい楽勝だ。

何より同じ空間の中に入ってこないだけで、ここは天国のようだと思った。

そんな日々の中で、1つ気が付いたことがある。

私は27年間主婦業をやって来たがここ数年は特に、自分は料理をするのがすごくキライだと思っていた。
夕方になると、気分が落ち込むのだ。

そろそろ買い物に行かなくては。そして今日もご飯を作らなければと思うと、泣きたくなるぐらい気分が落ち込んでしまうのだ。それぐらい、自分は料理が嫌いなのだと思っていた。

もちろん主婦歴が長いのもあるが、部活男子たちのご飯を「これでもか!」という程作って来た私は、一通りどんな料理も作れるのだが。

しかし・・・環境が変わり、新しい家で自分と子どもの為だけにする料理は何だかすごく楽しいと思えるのだ。

自分のために体に優しい野菜中心のおかずを作り、何気ない話をしながら大好きな家族と笑顔でご飯を食べる。
これが、すごく幸せな気分になるのだ。

私は元々料理が好きだったのかも・・・
なのに、なぜ料理が嫌いだと思い込み、あれ程までに毎日夕方になると落ち込んでいたのだろう?と考えた。

それは、どんなに手の込んだ料理を作ったとしても「美味しい」「ありがとう」も何も言われず、感謝もされない日常が当たり前になり過ぎ、そういう日々を淡々と送っていたからだと思う。

そう言えばまだ子ども達が小さいころ、一緒にパンやケーキを作ったり、子ども達に手伝ってもらいワイワイしながら料理を作って、「いただきまーっす!」と言いながら笑顔で食卓を囲む時間は楽しくて、今日は家族に何を食べてもらおう?何を作ろう?ってワクワクしていた自分を思い出した。

離婚後新居に友達が遊びに来て、たくさんの料理を作っておもてなしをするのは苦にならないし、むしろ張り切って作って、一緒に楽しく食事をするのが大好きだと実感している。

間違いない。私は料理が好きなのだと思う。

いつの間にか元夫のいる家に人を呼ぶこともなくなり、そういう時間もなくなって行っていた。

元夫の事がキライになった事で、元々自分が好きだった料理までキライになると思い込んで歪んでいたのだと気がついた時、私はまだまだリハビリ中なんだ・・・と痛感した。

別居から半年後、急遽正式に離婚が成立

別居したからと言って、すぐに離婚は進めなくて良いと思っていた。

諸条件に同意はしてもらったが、まだ金銭的な清算等は終わっていない。金銭的な清算が終わるまでは、離婚届けにサインしないつもりだった。

よく、ドラマなどでいきなり離婚届を書くシーンもあるが、あれは現実的ではないと思う。
結婚生活が長くなればなるほど、清算するものが多くなるものだ。

すぐにその場で書いて出すものではない。付随するものが多いのだ。

最後の仕上げで焦ってはいけない。中途半端な状態が続いたとしても構わない。完全な状態で終わらすためには忍耐も必要だ。

ここまで来たのだ。
何より今更焦る必要は1ミリもないと思っていたし、実際に全く焦りはなかった。

そんな時、条件通りの清算が出来たとの連絡が来たので、私は納得して、離婚届けにサインをして元夫にもサインをしてもらい、証人の欄には、ずっとこの件を相談し、引越しから何から力になってくれた親友と、私の父親にサインを頼んだ。

そして、遂に市役所に届けを提出する事ができた。

今までずっと泣かずに我慢してきたけど、帰り道に運転しながら気が付けばボロボロと涙が溢れてきた。

やっとここまで来た・・・
悲しみや後悔は一切ないが、決着が着いた安堵感だったかもしれないし、上手く表現できないが、色んな感情が溢れて来るのと同時に自然と涙が流れていたような気がする。

そして、帰り道のコンビニの駐車場に車を停めてドアを閉め、歩こうとした時に90歳近いご婦人が私の車のそばを歩いて来た。そのご婦人が通り過ぎるのを少し待っていると、話しかけられた。

「あら、お待たせしてしまってすみませんね。」という会話から、「私は、足が悪くてね・・・」と、少しそこで立ち話をする事になる。

そしてその会話の中でそのご婦人が私を見て、
「あなた、随分元気そうなお嬢さんね。とてもスッキリした表情をされているように見えるわ。今日は何かいいことがあったのね!」とおっしゃったのだ。

私がたった今、離婚届を提出して来たことなど知る由もないはずのご婦人にそう言われた事で、私は何だかすごく気分が良くなった気がした。

これで良かったんだ。全て終わったんだ・・・と、私は自分の気持ちを再確認し、まだ少し寒い3月の空を見上げた。

今、年齢を重ねて分かったこと

本当の自分が好きだったものに何も興味がなくなった時。本来の自分を見つめる事も大切。

自分の心は何で幸せを感じていたのか?それは今もあるのか?

本来の私は人と接するのが好きな方で、きれいな景色を見に出かけたり旅行に行くことが大好きだった。

これは、15年計画の中で「自分の感情」を閉じ込めてしまった弊害かもしれないが、 「キレイな景色を見て感動する心」を忘れてしまっていたと思う。

ある程度自分の仕事も順調になり、子育ても落ち着き、金銭的にも余裕が出来たころから自分の好きな事を積極的にやるようになった時、キレイな景色を見ることで、心が満たされていく感覚を取り戻したような気持ちになった事がある。

ある意味生きていくのが必死過ぎて、また心が麻痺してしまっていた十数年間は、「夕日がきれいだな」とかそういう事さえ気になった覚えがない。 いつの間にかちょっとした事で幸せを感じる心も失っていたのだと思う。

グアムや沖縄の海に連れ出してくれた友人達にも感謝している。
心が洗われるような景色を見て、 最初は無理にでもそういう機会を作ったことで、 本来こういう事が好きな自分らしさを少しずつ、そして「感動する心」を取り戻せたような気がする。

もちろん、日々の子育ての中で子ども達から色んな幸せをもらっているが、それとは違う。
「母親」としてではなく、本来自分が好きだったもの。自分を感動させてくれるもの。

旅行だけでなく、音楽とか本とか、料理もそう。何にも興味がなくなってしまっていた事が一番の問題だろう。心がシワシワになっていたようなイメージである。

そして「シワシワ」になっている事にさえ気づかない枯渇した状態になれば、更に何も感じない。
自分が幸せを感じる物事を遠ざけ、見ないようにしていたとさえ思う。

旅行に行かなくても、ただ晴れた空をきれいだなと思ったり、夕焼けやまん丸な月がきれいだと思ったり、そう思う心の余裕まで失っていた十数年間の私は確かにおかしかったんだと思う。

今、少しづつ色んなものを取り戻す心のリハビリの中で気づいた感情だ。

最近は年に数回は沖縄の海に潜りに行ったり、ただただ夜景を見るためだけに何時間も車を走らせたり、好きなアーティストのライブに行って踊りまくったり、LAまでメジャーリーグ観戦やNBA観戦に行ったり。それに付きあってくれる友人や子ども達がいる事が何より幸せだと感じる。

これからの人生は、感動するほどの光景をそれを共有できる大切な人と一緒に見たいと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました