なぜ「サイコパス」と思ったのか
離婚後、娘と2人暮らしをしながら平穏な日々に感謝をしながら暮らす日々。
慰謝料も払わず(請求しなかったが)、子ども達をもあんなに傷つけた元夫だが、相変わらず何もなかったかのように平気に暮らしているようだった。
そして自分から子ども達に連絡をすることは殆どない。
合わせる顔がないという訳でもないようだ。
子ども達から連絡してたまにご飯に行く事もあったようだが、罪の意識を感じている風でもなく、以前と全く変わらない態度らしい。
それを子どもから聞いた時、「どうして反省も罪の意識もないのだろうか?」と言うと、「サイコパスなんじゃない?(笑)」という一言が返って来た。
多分、何気ない一言だったのだと思うのだが、その一言が何だか私はとても気になった。
ちゃんとした定義を調べるために心理学者の本を読んでみた
私は「サイコパス」と言えば、映画「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」のような猟奇的殺人のイメージがあったのだが、そもそも「サイコパス」とはどういう定義なのかを調べることにした。
私が読んだ書籍は、アメリカの心理学者が書いた本で「良心をもたない人たち」という書籍。
猟奇的殺人をするだけがサイコパスではなく、割合的には25人に1人はサイコパスなのだという。
「良心を持たない」という意味が最初は良く分からなかったが、読み進めて行くうちに自分とは全く違う人種なのだと、納得できる部分がたくさんあった。
サイコパスは一般社会にもそれなりの割合で存在し、一目でそうとは気づかれないように行動している。傍目から見れば「良い人」だったりするのだ。
頭が切れる場合だと部下を部下とも思わず怒鳴りつけ、パワハラを平気で行う傲慢経営者、はたまた女性に暴力をふるうDV男なども当てはまる場合が多いらしい。
この本には色んなケースを事例に詳細に説明してあった。
「Amazon レビューより」
良心、罪悪感、忍耐とは無縁。だからこそ平気で嘘をつき、人を誑かす甘言で惑わせ、自分が不利な立場に追いやられると攻撃的になれる。それらの行いをすることに躊躇いがないのだ。罪の意識を感じることができないからだ。良心の欠如を深掘りしていくと、その中で見えてくるのが、サイコパスは巧みに一般人に成りすまし、魅力的で相手の懐に入ることを許され、喜ばすことが得意だ。この一回の許により、私たちはサイコパスに精神を摩耗される。これを繰り返されるより前に、自身が操作されていることに気がつくことは、容易ではないかもしれない。
とにかく、読んでいて納得できる部分が多かったのだ。
出会った当初は同情から協力して尽くしてきたつもりだったが、感謝される事もなく、最終的には子どもの進学より、自分の外車や愛人の方が大切だと思うあたりが、まさにそうだと思わざるを得ないと感じた。
何より自分を優位な立場にしてくれる人でないと、気分が良くないのであろう。
私は長年便利に扱われていたに過ぎないのである。
サイコパスだと思ったら全て腑に落ちた
「良心を持たない人間」だと定義すると、全てにおいて腑に落ちた感がある。
やってもらった事に感謝はないし、相手に利用価値がない、もしくは自分の手を貸さなければならない煩わしい状況だと、罵倒し屁理屈で自分の優位性を主張する。
ただ単に「プライドが高い」だけでなく、良心や愛情も人間性もないのだ。
だがしかしサイコパスの特徴として、「自分に利益をもたらす」という人間には、敏感に上手く近づき、利用するのだ。本人は利用している感はないのだろうが。
そして、利用されている相手側も、全くそれに気が付かないという点も納得が出来る。外面だけは良く、誰からも好かれる社交性があるという点も納得だ。
元夫は近所では評判の「良きパパ」だったからだ。
私がある時、元夫を良く知るママ友に現状を話した時、「信じられない!」という言葉が返って来たものである。
良識のある「良きパパ」が、地域の小学生のスポーツチームの指導者として保護者とそういう関係になるはずがないのである。このような事が出来る事が異常者なのである。
この本に早く出会いたかった。しかし、今更そんな事を言っても仕方ない。
今までの結婚生活は私の人生に「必要な学びと強さ」を与えてくれた機会だったと思いたい。
そして私はそのような人間にならず、家族や周りの人たちを大切にしてこれからも生きて行きたいと思う。
これからの自分の人生が、サイコパスの餌食になってボロボロになってしまった人生にだけは、絶対にしたくないと思う。
だが、私は心理学者でも博士でもないので「サイコパスだった」とは言わない。
「サイコパスだったのかもしれない」という形で締めくくりたいと思う。
最後に・・・結婚したことを後悔しているか?
私は「あの時に戻れたら」という話が好きではない。現実的ではないからだ。
どんなに後悔しても、昔には戻れない。今の自分を作って来たのは、過去の自分の選択の積み重ねである。
「元夫と結婚しなければ良かったか?」という、問いかけには「NO」である。
かわいい子ども達を3人も授かったのは元夫のおかげである。
過去に戻って、元夫と結婚しなかったら違う人生があったかもしれないと思う考えもあるかもしれないが、かけがえのない子ども達に巡り合わせてくれた事は、何にも代えがたいものである。
母親として、自分の命よりも大切に思える存在があるという事が知れた事や、子ども達に色んな気づきを与えてもらい、私の方が成長させてもらった事、そして子どもを通して知り合えた貴重な友人達。
自分が親になって初めて親の気持ちが理解でき、両親からの愛情をちゃんともらっていた事に気付いた事、そして両親にも心から感謝出来るようになった事。書き出したらたくさんあり過ぎてしまう。
子ども達に本当にたくさんのたくさんの幸せをもらえた事。これだけでもう、何もいらないのだ。
人生の岐路に立った時どういう選択をするのか、もしその選択に自信がなかったとしても、それは死ぬまで良かったのか悪かったのか分からないのだと思う。
私が昔から大好きな久保田利伸の歌に「LIFE」という曲があるがその中に
「いつか雲は流れ 太陽に肩抱かれ そして雨を抜けて行く Live your life, be alright」という歌詞があるが、Live your life, be alright(あなたの人生を生きて。それで大丈夫) でいいのだと思う。
この歌を最初に聞いた時自分に言ってもらっているようで、涙が出た。
だから、その時その時の選択がきっと間違ってなかったと自信を持って、これからも自分の人生を生きていきたいと思う。
最初からずっと見てきてくれて、私が取り乱した時もいつも傍で助言してくれた親友M、月1のランチで10年以上もいつも私の話を聞いてくれて、ずっと私の心の安定を支えてくれたメンバーには特に感謝しています。本当にありがとう。これからもよろしく。
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