そんな時に友人の自殺。最後に言われた言葉が響く
前回の話し合いから数カ月経ち、元夫はまるで何もなかったかのように過ごしていたが、私は悶々とフラストレーションを抱える日々が続いていた。
あと数か月で家を出て、ただ逃げるように何の計画もなく新生活を始める夢を抱きながら・・・
そんな時、20年近く付き合いがあった仲の良い友人のグループの一人が亡くなったと訃報が届く。原因は鬱による飛び降り。
みんな結婚したり子どもが出来たりしても、年に数回は必ず集まり近況報告をしたり、カラオケでバカ騒ぎしたり、何か問題があれば集まって話を聞いてもらったりといった大切な友人達。
彼が亡くなる2週間ほど前にも、ちょうどみんなで集まっていたがまさか悩んでいたなんて誰も気づかなった。
あの時、どうして気づけなかったのか。
何もできなかったことへの後悔と悔しさと・・・
深い深い悲しみからなかなか立ち直れなかった。
当時は「鬱」を公表する事はとても勇気がいる事で、人に話すような空気感はなかったのである。
そして、彼に最後に会った時に言われた言葉が「離婚したらダメ。がんばって!」だったのだ。
マジメな彼らしい、私を想いやった言葉だったと思う。
これからの人生計画を考えてみる。自分に足りないものは?
お葬式、四十九日も終わり、彼に言われた言葉を受け止めて私はもう一度「再構築」という選択肢も考えてみるようになった。
でもこんな気持ちで離婚せずに頑張るってどうすればいい?
もう一度信じたとして、それで次に裏切られたらどうすればいい?
そもそも、こんな人間を信じることなど出来るのか?
色んな感情が交錯して、なかなか気持ちの整理がつかなかった。
自分はどうしたいのか。何を人生の指針とするのか。
でも、自分に足りないものは確実に分かっていた。「お金を稼ぐ力」だ。
お金なんてなくても・・というキレイごとを言うつもりなど私には一切ない。
もう、借金生活や貧乏は絶対にイヤなのだ。
3人の子ども達が成長して行く為には、絶対にお金が必要なのだから。
- 安心して住むところがあること。
- 子ども達がいつでもお腹いっぱいご飯を食べれるようにすること。
- そして、子ども達に絶対にお金の心配をさせないこと。
これらをまずはクリアすることが、私の使命だと決めた。
残念ながら当時の私には、今すぐ一人でこの使命を全うできる自信と稼ぎがなかったのだ。
もちろん、離婚したとして元夫が有り余る養育費など払うわけがないのは確実だ。
だからと言って、実家に頼ることもしたくない。
ならばどうするのか・・・
15年計画の立案
15年計画と決めたのは15年後に第三子が20歳になり、成人する時を1つの目標としたからだ。
その時は私も50歳になっている。
あと15年がんばって、自分がちゃんと稼げるようになって、子ども達が成人したらその時にもう一度考える
50歳になった時、元夫が今のままで変わらず気持ちが離れていたとして、その後の人生も信用も尊敬も出来ない人間と暮らす老後が全くイメージ出来ない。
でも、その時に「文句を言いながら、大嫌いでも一緒にいるしかない」という、選択肢もない人生が何よりイヤだ。
これからまだまだ身に着けなければならない技術、そして収入をどうやって増やして行くか。
全てを計画的に、そして母親業をこなしながら長期計画でコントロールしようと思った。
もしかしたら何かのきっかけで元夫が変わり、昔のように信頼関係が回復するかもしれない。
その時はその時で、老後も一緒にいればいい。(結局そのような事には至らなかったが)
夫が変わらないのだから、自分が変わる!
他人を軸にしたら、自分の人生は歩めないのだ。頼るから、期待するからイライラするのだ。
何があっても、自分がしっかり立っていれば誰かに頼らずとも歩いて行けると信じて・・・
気持をどうやってコントロールしていたか
子どもの為に犠牲になる
子どもの為に我慢する
それは良くないとか、そんな事をしても子どもは喜ばないとか、そんなに我慢なんてできないという意見をいただく事が多い。
私は決して子どものために、犠牲になっていたわけでもなく、我慢していたとも思っていない。
全ては自分のためだ。 誰かに強要された訳でもなく、 自分がそうしたいと思って決めたこと。
愛する子ども達がすくすく成長する事が、何より私の望み。
感情を一旦全て置いてみて、どうなりたいか、自分の目指すゴールを決めたら、そのゴールに向かって行くだけ。私は「プロジェクト」として定義していた。
プロジェクトに余計な感情が入ると、冷静な判断が出来ないのだ。そして、失敗する。
「感情を入れずに、事実だけを見る」
「感情を入れずに、計画だけを遂行する」
「プロジェクト」と定義してしまえば、「プロジェクト成功のための手順を書き出すのと同じ作業」なのだ。
プロジェクトのゴールには、もちろん「子ども達がやりたい事をやって、大人に成長する」というのも含まれている。
元夫は、自分だけが優先で子ども達に愛情がないのは何より分かっていたから、私が2人分の愛情を注ぐつもりだった。
もちろん、足りない所もあっただろう。そこにはおじいちゃんやおばあちゃん、そして私の兄弟や友人などにも積極的に関わってもらった。
自分に課していた3つの決め事
- 口答えをしない、期待しない
- 話し合いのテーブルに付かない
- 子ども達に夫の悪口を言わない
これは私が自分の身を守るために、ある意味自分の心が壊れないように決めていた3か条。
「口答えをしない」は、責められるような事を言われても、さっさと謝る。反撃をしないこと。「うんうん。そうだね。ごめんね。」とだけ言っておけば良い。
話がさっさと終わる。何を言っても毎回そういうリアクションだと、向こうも相手にしなくなってくる。それでいい。
「期待しない」は、その文字の通りで「何かをやってもらおう」などと、決して思わぬ事。
何かをお願いしても、期待通りの結果など得られるはずがないのに期待するだけ時間の無駄というものだ。
「話し合いのテーブルにつかない」は、「自分の意見を言わないようにする」事。
自分の意見を言うという事は、すなわち相手に自分の事を理解してほしい、分かって寄り添って欲しいという想いがあるから行う行動だと思う。
今までどれだけ尽くしても、泣きながら訴えても、私を傷つけることしかしなかった元夫に対して、「分かってもらおう」「寄り添ってもらおう」という事自体が間違っているのだ。
もはや人間ではないと思うと、理解してもらおうという傲慢な考えなど微塵も浮かばない。
そして自分の事を分かって欲しいと思うなら、相手の事も分かろうと、話を聞き入れ努力しなければならない。
その価値がない相手と話し合いをする必要などないのだ。
私の意見は伝えませんし、理解も必要ありません。なぜならあなたの意見も聞かないので。あなたもどうぞそのままで。
これが、話し合いのテーブルに付かないという事だ。
「子ども達に夫の悪口を言わない」は、そんな父親でも子ども達には父親の事を好きでいて欲しかったから。夫婦関係と親子関係は別だと思う。
私が色々と吹き込み父親を嫌う方向へ向けることも可能だっただろうが、「子ども達の健全な成長」を阻む可能性があることはしないでおこうと決めた。
本当は歪んでいたのかもしれないが
私は細心の注意を払い、上手く家庭を回す母親役・妻役を完璧にこなす努力をしていた。おそらく色んな所でボロも出ていただろうとは思うが。
「自分らしさ」を忘れないためにも、趣味の時間を取って没頭したり、積極的にたくさんの人たちと関わって、自分の時間を作る事で正気を保てていた部分もある。
リフレッシュして帰ると「さぁ!明日も頑張ろう!」と思えたのである。
自分の感情をそこまでコントロールするのは、無理なんじゃない?と事情を知る友人から言われる事も多かったが不思議なことに、「無の境地」のような穏やかさがあったのも事実だ。
相当歪んでいたかもしれないがそれと同時に、ゲームの主導権を握っているような楽しささえ感じていた。
何も考える余裕がないほど殺人的なスケジュールの中、時には自分で自分を鼓舞する。
自分の中のイメージは「映画:ショーシャンクの空に」。 完全なる自己陶酔の世界。
そして、確固たる自分の中の「大きな岩」は、元夫の言動などでそんなに簡単に揺らぐものじゃないと確信していた。
それ程までに自分に自信満々なのが不思議だったが、私は本当に単純で自己暗示を掛けられる天才だと信じて疑わなかった。
そして仕事に勉強に、子育てに・・・毎日めまぐるしく過ぎて行くあまり、考える時間すらなかったようにも思う。
今、年齢を重ねて分かったこと
仕事と家庭の両立?無理せず出来ることだけやろう。
お金があれば、ハウスクリーニングでも頼めば解決すると思うけど、そうもいかないのが現実。
まだ洗濯物も畳んでないのに、更に散らかされて。仕事もまだ残ってるし、ご飯も急いで作ってお風呂沸かして・・・ってイライラする事が多かったある日。
なんか家事なんて急にばかばかしくどうでも良くなって「子ども達が笑ってればいい」と思えば気分がスーーッと落ち着いたことがある。
ぜーんぶ放り投げて、テレビを見ながらバカ笑いする時があってもいいんじゃないかと思う。もちろんピザの出前とコーラで。
自分で自分を追い詰めて、やらなきゃやらなきゃっていう状況を作っておいて、切羽詰まってイライラする。子ども達にもほんと良くない面も見せてしまって来たと思っている。
ただ、大人になった子ども達が、「最近イライラしてたよね?(笑)」って私の好きなチョコレートとか買って来てくれると、あぁ、、子ども達は成長したな。って嬉しくなる。
そんな大人になった一面を見せつけられると、もっとあの時のあの時間を大切にして、向き合ってあげれば良かったと後悔したりもする。
家事なんて、多少サボってもきっと大したことないのだ。
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