第9話:離婚の話し合いの場はプレゼンテーション

離婚についての話し合いの場はプレゼンテーション 結婚から離婚までのストーリー

まずは住む場所を確保。既に契約しておいた

証拠を固める作業と同時に、家探しも始めていた。

気に入った部屋は内覧してから入居まで1か月ほどかかるという事なので、まずは仮契約から手続きを進める。

奇襲攻撃をかけ一気に畳み掛けるため、こちらの動きは絶対に気付かれてはならない。

そして、遂に新居の契約書にサインをして、もう後戻りは出来ないと自分に言い聞かす。

こういう時に頭の中に流れる曲は「Superflyのタマシイレボリューション」だ。
弱気になりそうな時、自分を奮い立たせるための私のテーマソングである。

ちなみに、この曲の一番好きな歌詞の部分は2番の「さぁ いばらの道で私はグレードアップ」という部分だ。

この時、不安に思っているであろう私を想って、親友が契約に付き添ってくれた。
何も言わず押し付けがましいでもなく、「今からそっちに行くよ!」と自然にすっと寄り添ってくれる気遣いがたまらなく嬉しい。

家を借りる手はずも整えたので、 唯一お気に入りの小さなチェストだけは持っていったが、 新しい家には全て新しい家具・家電を買い揃えた。

新しい家を借りる時は、全て新調すると決めていた。
この費用も何年も前から全て計画的に準備をしていたのだ。

古いものを持って行くというのは、未練も引きずって行くようで縁起が悪い気がしていたからだ。何もかも全て真っ新なものを揃えて心機一転すると決意していたのである。

証拠を出さずに誘導尋問。不倫を認めさせる

いよいよ数日後には、引越し日も決めてから、元夫に話を切り出す事にした。

最初は「愛人がいるよね」という私の問いかけに、とぼける元夫。

「認めないなら認めないで構わないけど、どこどこで会ってたよね。ある程度の証拠は揃ってるけど、裁判にする?相手の人は離婚しているようだけど、あなたが原因?」と、聞くと

「俺が原因ではない!」

と、言った。私は名前も何も言ってないのに。

証拠も断片的な部分だけ、一部だけを伝えながら「どこまで知っているのだ?」という疑心暗鬼な状態に持っていく。決して簡単には証拠は見せない。
最後のカードは最後にしか出さないのが重要なのである。

私は予習通りに、淡々と話を進めて行く。レジュメ通りの進行だ。
シナリオは既に全て頭に叩き込んである。

何より大切なのは相手に考える時間を与えずに、パニックに陥れている間に次々と話しを進行する事だ。

そして最終的には証拠を見せる前に「1年ぐらい前から2人で会ってました。」と、答えたのだ。

予想した流れの通り、殆ど何も言い返さない元夫。
言い訳が出来ないよう、全てにおいて熟考したシナリオだ。

私は何の感情もなく、ただ粛々とシナリオ通りに進めるロボットのようだった。
そこには泣いたり取り乱したりせずに、ただただ話を進めることが出来る自分を、客観的に見ている自分も居たのである。

この時の別バージョンのシナリオの中には、「逆ギレして暴れる」というものもあった。
そうなった時には、息子たちに応援を頼むという形で別部屋でスタンバイしてもらっていた。結果的には暴れることはなかったのだが。

今までの行動パターンからいくつかのストーリーを用意しておいたが、多分こうなるであろう・・というものにやはり流れたようだ。

次に条件提示。1案・2案を提示

不倫を認めたら次は、今後の離婚についての条件面の話に持ち込む。
こちらは1案と2案を予め作ってプリントしておいた。

この内容についても、頭の切れる友人にアドバイスをいただいて事前に作成しておいた。

1案は私の離婚希望に同意し、最低限の条件を提示したもの。そして元夫にも相手にも慰謝料は求めない旨を明記したもの。

2案は離婚に同意しない場合のもの。調停からの裁判になり、1案の条件にプラス元夫にも相手にも徹底的に慰謝料を追求し、さらに元夫の事業に関しても私の権利を半分主張するというもの。

普通なら、どう考えても1案で進めたいと思うはずだ。
すんなり「1案で。」という答えが返ってきた。読み通りだ。

最初に「決定的なカード」を使わないことで、1案に同意させるという流れの予想通りの反応。

これはないと思っていたが、「どうしても離婚したくない!」と言った場合も、当然想定していた。その場合はもちろん、裁判まで長引く道のりになるが今まで通りの生活費をお支払いいただき、何年でも別居する覚悟だった。

事前にある人に相談していたが、だいたい別居5年ぐらいで離婚が成立するケースが多いらしいと聞いていた。どうしてもすぐに離婚しなければならない事もないし、そうなれば5年でも待つ覚悟も出来ていた。

本当は2案で裁判まで進めて慰謝料を双方から取ろうとも考えていたのだが、どれだけクズのような人間でも子ども達の父親なのである。

子どもを通して切れる事のない関係なのは仕方ない事なのである。

愛人に関してもどうでも良かった。こんな元夫、どうぞという感じ。

そもそも、15年計画を立案した時には「熟年離婚」が目的だったのだから、渡りに船のような存在でもある。不倫をするような非常識な人間同士、お似合いだろう。勝手にやっておくれ。

最後に私がここを出たら、愛人を呼んでどうぞ一緒に暮らして下さいと伝えておいた。

では、来週出て行きます。以上。

一通り、プレゼンテーションが終わり、「では来週引越し致します。その後の書類等はこちらで用意しますので随時目を通してサインなどお願いします」という形で終了。

そして、最後に「私に何か言うことはないのか?」と聞いてみた。
元夫は「??」と言った感じだった。

元夫はどれだけ自分が悪くても、決して謝らないのだ。
これだけの事をしでかしても、謝らないのだ。

「最後に謝ることもできないのか?」と言うと、消え入りそうな声で「すみませんでした・・」とだけ呟いた。

自分の行動のせいで、家族を傷つけたことを何とも思わない元夫。
きっとこれからも何の痛みもなく、のうのうと生きて行くのだろう。

今、年齢を重ねて分かったこと

いらないものはいらない。人生には捨てる選択も必要である。

執着し過ぎ、悩み過ぎだと前に進めない時もある。

これだけ投資したから、これだけ我慢したから・・・と、執着して捨てきれないと、新たなものが入ってこない事もあると思う。

どこかで見切りをつけて手放さないと、いつまでもグルグルと同じ所を回るだけだ。

私は「なるべく悩まない」ようにしている。「悩む」のと「考える」のは違うのだ。

悩むというのは、「このままじゃダメだな。でも無理だしな。やろうと思っても、きっと無理だな。あぁ、私って何て不幸なの。そもそもあの人のせいでこうなった!」などと、一向に出口のない場所を繰り返し回る状態なんだと思う。

同じ場所をグルグル回るのではなく、ちょっとずつでいいから、何かを捨てたり、その円から出られるように何か出来ることはないのか、どうなりたいのかを「考える」という事を意識的に繰り返すことで、いつか出口が見えるようになると思っている。

50歳にもなると、ちょっと1か月ぐらい前まで35歳ぐらいだったような感覚に襲われる。
日に日に月日が流れるスピードが加速して行くのである。

こうなると来月はもう65歳で、来年には死んでいるかもしれない!というのが今の感覚なのだ。
時間は無限にあるものではないのだから、悩んでいる時間ももったいない。

多少もったいないと思っても、さっさと切り捨てて前だけを向いて歩いて行く方が道は開けると思っている。

捨てたものを後悔するより、もう歩き出したら振り返らず新しいものを掴みに行くのだ。

人生楽しんだもの勝ち。
言っておくが家族や他人に迷惑を掛けたり、自分勝手に生きるのとは意味が違う。

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